二葉亭四迷は「I love you.」を「死んでもいいわ」と訳していない。

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2012/5/21 追記
二葉亭四迷「死んでもいいわ」を最初に書いたのは誰か?を追加しました。

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2012/5/19 追記
いつのまにかこの記事へのアクセスがものすごいことになっているので、若干追記します。(タイトルも変更しました)

検索結果から来て数秒で去っていく方々のために1行でまとめると、
二葉亭四迷は『I love you.』を『死んでもいいわ』と訳していない
です。

以下の記事では日/英/露の原文をあたり、「死んでも可いわ」の原文が「I love you」ではないことをつきとめています。長文ではありますが、興味のある方はぜひお読みください。
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直接技術ネタというわけではないんですが、情報技術ネタということで…。

ちょっと前から見かけるようになった話がありまして、

夏目漱石は“I love you.”を「月が綺麗ですね」と訳した。二葉亭四迷は「死んでもいいわ」と訳した。

というものです。

夏目漱石の話はこれ有名でして、昔から国文学専攻の人だったら必ず聞くんじゃないでしょうか。学生時代、私も国文学科の知りあいから聞いて、さすが文豪!と感動したものです。
ただし英語教師時代のエピソードということで、本当にあった話かどうかわからないとされていますが。

さて、問題は二葉亭四迷の件です。
夏目漱石とはほぼ同世代の人ですし、ここまで対比されて広まるからには、昔から有名であってしかるべきだと思うのですが、聞いたことがなかったのです。

なぜ突然この話を目にするようになったかというとこれは結構明らかで、Twitterで繰り返しつぶやかれているからです。
http://twitter.com/#!/search/%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%84%E3%82%8F

では最近になって誰かが何かに書いたとか発言したとか、そういうことでもあったんでしょうか?
ググってみると、「〜らしい」「〜んだって」と、伝聞が多いですね。

ここでネガティブな発想に襲われたのです。これ、本当なのかな?と。

かろうじて出典を挙げている人が発見できました。ツルゲーネフの「片恋」だそうです。
ほほう。それではと思ってAmazonで探してみたことろ、二葉亭四迷訳本は1955年の岩波文庫を最後に絶版になっているのです。そりゃ伝聞にもなります。探せばあるかもしれませんが。

ここでさらにネガティブな発想に襲われました。これって都市伝説じゃないのかな?と。

この時代の文献は国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で見ることができます。
問題の個所は第16章、明治29年の版だとp.103、大正5年の版だとp.100です。

(略)私は何も彼も忘れて了って、握ってゐた手を引寄せると、手は素直に引寄せられる、それに随れて身躰も寄添ふ、シヨールは肩を滑落ちて、首はそつと私の胸元へ、炎えるばかりに熱くなつた唇の先へ來る…
「死んでも可いわ…」とアーシヤは云つたが、聞取れるか聞取れぬ程の小聲であつた。
私はあはやアーシヤを抱うとしたが…ふとガギンの事を憶出すと(略)

あったじゃないか!やっぱり都市伝説なんかじゃなかったんだね!と一瞬思ったのですが、そこまで素直にはなれないわけでして。

ではこの「死んでも可いわ…」の原文は本当に「I love you.」もしくはロシア語で「Я люблю тебя」なのか?というわけです。

ではまず英語版をあたってみましょう。
http://www.ibiblio.org/eldritch/ist/lear.htm#acia
(英語版は“Asya”というタイトルになっているはずなんですがこの版はなぜか“Acia”になっています)
場所(章番号)がわかっているので比較的早く見つかりますね。
上に挙げた個所の英語訳はこうなっています。

I forgot everything, I drew her to me, her hand yielded unresistingly, her whole body followed her hand, the shawl fell from her shoulders, and her head lay softly on my breast, lay under my burning lips. . . .
“Yours”. . . she murmured, hardly above a breath.
My arms were slipping round her waist. But suddenly the thought of Gagin flashed like lightning before me.

ふむ。「”Yours”…」ですね。

ではがんばってロシア語版をあたってみます。
http://ilibrary.ru/text/1097/p.16/index.html
これはなかなか難題ですが、章番号があるのでかろうじて可能です。
章の頭からの段落数と、会話文の形式から判断すると、おそらくこの個所だろうと思われます。

— Ваша… — прошептала она едва слышно.

「Ваша…」を翻訳してみると、「あなたの…」となります。
http://translate.google.co.jp/#ru|ja|%D0%92%D0%B0%D1%88%D0%B0…
となるとこれはもう明らかで、英語版の「”Yours…”」はほぼロシア語の直訳だということがわかります。

さて、結論です。

「二葉亭四迷は“I love you.”を『死んでもいいわ』と訳したか?」

答えは、Noです。
(少なくともツルゲーネフの「片恋」では…)

しかし、この文脈で、直訳すれば「あなたの…」となるところを、「死んでも可いわ…」とした二葉亭四迷の訳がすばらしいことには違いはありません。

……ただおそらく、二葉亭四迷がこのセリフで意図し、当時の読者が感じ取っただろうイメージは、「君のためなら死ねる」とか「死ぬほど好き」とかではなく、「心中」なんでしょうね。