いまさらですが、オープンソースの製品にもライセンス問題は常に存在します。
とくに会社で納品物として使っている場合には、ライセンスの影響範囲と拘束内容は重要な問題になるわけです。
そもそもソフトウェアライセンスは(当たり前ですが)使ってほしくないがために定められているわけではないので、ほとんどの場合にはライセンサーの「こういう広め方をしたい」という意図に沿って定められることになります。
そこで、ライセンシーから「こういう使い方ができるべきではないか」「これではこういう使い方ができない」等の不満が出る場合があり、論争になることもあります。
しかしたとえそれが論争になろうとも、横からその論争を見ている人間にとって、その論争を自由に判断して、自分の判断を決めることができます。これもまた自由です。
その論争が、「新たに使い始めようとする人の不利益になるからやめるべきだ」というのは、逆に、これから使い始めることを検討する人に対して、将来の不利益につながる事実を隠すことにしかなりません。
重要なのは、At your own riskを前提とした場合の、選択・判断に必要な情報です。
それがネガティブな情報に見えたとしても、人によってはむしろそれによって採用を決めるかもしれません。その選択を、他者が「誤りだ」と決めつけることができるでしょうか?
当事者目線としては「いや、これは本当に問題なんだ。そういうのとは違うんだ」という声が出るでしょう。
それはそれで良いことなんだと思います。そのように考えている人がいる、というのは重要な情報です。
しかし例えば「それは使用上問題にならない」と言う人がいたとして、「問題じゃないとか言うな!」と言うのは矛盾していないでしょうか。「問題になるか否か」を論争するのであればともかく。
「これから発展していくものをDISるな!」と言うのもどうでしょう。ほとんどのオープンソースのプロダクトは、そうして揉まれて改善されてきたのではなかったでしょうか。「その非難は的外れだ」と論争するならともかく。
オープンソースのメリットとは、プログラムソースが公開されること、誰もが自由に使えることだけではなく、そこに至るまでの経緯がオープンであること、でもあるはずです。
人間は自分と周囲のものを良く見せようとしてしまいがちです。しかし、その「美しくない」部分が明らかにされて成り立っているものは、道具として美しい、と思います。
この問題については、おそらく考え方の違いがあるでしょう。「その考え方はおかしい」という意見が出るかもしれません。
しかし、そのような意見や意識・観点の違いですら全て、その違いを意識していなかった人(おそらく自分含む)にとっての利益になり、新たな選択・判断の有効な情報になると考えているので、それはそれで良いことではないかと思います。